以下に、古代から現代に至るまで、歴史上の人物、哲学者、芸術家、指導者たちが残した言葉を、テーマ別に分類して紹介します。
人生訓・哲学

「わたしは知識を愛する者である」
ピタゴラス (紀元前582頃〜紀元前496頃) 「ピタゴラスの定理」で知られる哲学者の言葉。世界を旅し、教団を設立して研究に生涯を捧げた彼の、知恵(ソフィア)を愛する者(フィロ)=「哲学者(フィロソフォス)」としての姿勢を示しています。
「私は自分が何も知らないと言うことを知っている」
ソクラテス (紀元前469頃〜紀元前399) 古代ギリシャの哲学者ソクラテスの「無知の知」として知られる言葉。弁論術がもてはやされた時代に、彼は自らが無知であることを自覚し、対話を通じて真理の追求を続けました。
「あなたの人生の幸福は、あなたの考えの質による」
マルクス・アウレリウス・アントニウス (121〜180) ローマ帝国最盛期の五賢帝最後の一人。「哲人皇帝」と呼ばれた彼が、遠征先での苦悩や哲学的な思索を書き記した『自省録』にある言葉。幸福は外的な要因ではなく、内面の思考の質によって決まると説いています。
「時よ止まれ。お前は美しい」
ゲーテ (1749〜1832) ドイツの文豪ゲーテの代表作『ファウスト』で、主人公が最期に語る言葉。時間を止めることはできないが、「死」という瞬間こそが永遠を実現する唯一の方法である、という解釈もされています。
「人生は短く、真理は長し。さあ、真理を語ろう」
アルトゥル・ショーペンハウエル (1788〜1860) ドイツの哲学者。著書『意思と表象としての世界』で語られた言葉。生きることは苦痛であると説いた彼が、短い人生の中で永遠の「真理」を追求することの重要性を示しています。
「どんなに偉大な芸術家でも、初めはみんな素人だった」
ラルフ・ウォルド・エマーソン (1803〜1882) アメリカの思想家。「万物は神につながっている」と主張し、人間は日々の努力によって可能性を広げることができると説きました。この言葉は、どれほど偉大な人物も最初は初心者であったことを示しています。
「死に至る病とは絶望のことである」
セーレン・キュルケゴール (1813〜1855) 19世紀の哲学者。理想を追求し続けても、最終的に「死」によってもたらされる「絶望」は回避できないと彼は考えました。この「絶望」こそが、人間にとって最も深刻な病であると説いています。
「貧しくても、生活を愛したまえ」
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー (1817〜1862) アメリカの思想家。森での2年2ヶ月に及ぶ自給自足の生活を記した『ウォールデン 森の生活』で知られます。物質的な貧しさの中にあっても、自らの生活そのものを愛することの大切さを説きました。
「一般にすべて他人の不幸というものは、どんな場合でも傍観者の目を楽しませるようなものを含んでいる」
フョードル・ドストエフスキー (1821〜1881) 『罪と罰』などで知られるロシアの文豪。自身も死刑判決(後に減刑)やシベリア送りなどを経験した彼が、人間の心理の暗く複雑な一面を鋭く指摘した言葉です。
「世界で最も貧しい人は、金以外の何も持っていない人である」
ジョン・D・ロックフェラー (1839〜1937) 「石油王」と呼ばれ、莫大な富を築いた実業家。しかし彼は富そのものが目的ではなく、晩年は慈善事業に力を注ぎました。この言葉は、物質的な富だけが人生の豊かさではないことを示しています。
「神は死んだ」
フリードリッヒ・ニーチェ (1844〜1900) 19世紀最大の哲学者の一人。近代化が進むヨーロッパにおいて、従来のキリスト教的な価値観(神への信仰)が絶対的な力を失ったことを宣言した言葉。人間が自ら新しい価値を創造すべきだと説きました。
「呑気に見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする」
夏目漱石 (1867〜1916) 『こころ』などで知られる日本の文豪。自身も精神的な不調に悩まされた経験から、人間の内面に潜む普遍的な悲しみや孤独について、深い洞察を示した言葉です。
「人生はどちらかです。勇気を持って挑むか、棒にふるか」
ヘレン・ケラー (1880〜1968) 幼少期に視力、聴力、発話能力を失いながらも、サリヴァン先生と共に努力を重ね、ハーバード大学への入学を果たした「奇跡の人」。彼女の生涯そのものが、勇気を持って挑戦することの価値を示しています。
「人生に必要なもの。それは勇気と想像力。そして少しのお金だ」
チャールズ・チャップリン (1889〜1977) 「喜劇王」チャップリンが映画『ライムライト』で語ったセリフ。困難な人生を生き抜くためには、立ち向かう「勇気」と、未来を描く「想像力」、そして現実的な基盤となる「少しのお金」が必要だという、彼の哲学が凝縮されています。
「正しく見ることができるのは心だけだ。最も重要なものは目には見えないんだ」
サン=テグジュペリ (1900〜1944) 『星の王子様』の作者が残した、世界的に有名な一節。物事の表面的な姿に惑わされず、その本質や最も大切なこと(愛や絆など)は、心で感じ取らなければ見えないという深い洞察を示しています。
「人間の自由の刑に処せられている」
ジャン=ポール・サルトル (1905〜1980) フランスの哲学者。人間は理由もなくこの世に存在し、どう生きるかを自ら選択する「自由」を持つが、その選択の全責任を負わねばならない。その重い責任を「自由の刑」と表現しました。
「あなたが行く先々で、愛を広めてください。あなたが出会った人たちが、より幸せになって去っていきますように」
マザー・テレサ (1910〜1997) 貧しい人々のために生涯を捧げ、ノーベル平和賞を受賞した修道女の言葉。彼女の慈愛の精神に基づき、出会う人すべてにより良い影響を与えようとする姿勢が表れています。
「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」
夏目漱石 (1867〜1916) 『こゝろ』の中で、登場人物「先生」が友人に放つ強烈な言葉。現状に満足し、自らを高めようとする意志(向上心)を失った人間を厳しく断罪しており、漱石自身の自己研鑽への厳しさも反映されています。
「未来が其の胸中に在る者 之を青年と云う 過去が其の胸中に在る者 之を老年と云う」
植木枝盛 (1857〜1892) 自由民権運動の思想家。36歳で早世した彼が20歳頃に残した言葉。年齢に関わらず、未来への希望や志を持つ者こそが「青年」であり、過去に囚われる者が「老年」であるという、精神のあり方を説いています。
「おこないはおれのもの。批判は他人のもの、おれの知ったことじゃない」
勝海舟 (1823〜1899) 幕末の動乱期を生き抜き、江戸無血開城を導いた政治家。他人の評価や批判に惑わされず、自分の信念に基づいた行動を貫くことの重要性を示しており、SNS時代の現代にも通じる教えです。
「世の人はわれを何とも云わば云え、わがなすことはわれのみぞ知る」
坂本龍馬 (1836〜1867) 幕末の志士・坂本龍馬が詠んだとされる歌。周囲が自分をどう評価しようとも、自分が成そうとしていることの真価は自分だけが知っている、という固い信念と覚悟が表れています。
「丸くとも一かどあれや 人心 あまりまろきはころびやすきぞ」
坂本龍馬 (1836〜1867) 龍馬が残したもう一つの言葉。人当たりが良く「丸い」ことは大事だが、それだけでは転びやすい。心の中には譲れない信念や角(かど)を持つべきだという、柔軟さと芯の強さの両立を説いています。
「私がしているのは決して大きなことではないが、必要なことなのだ」
チェ・ゲバラ (1928〜1967) キューバ革命の指導者。革命を志した彼が、愛娘に宛てた手紙の一節。自分の行動は世界的に見れば小さいかもしれないが、社会にとって「必要なこと」であるという信念が、彼の行動を支えていました。
「世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない」
宮沢賢治 (1896〜1933) 『銀河鉄道の夜』などで知られる作家・詩人。自らの幸福だけでなく、他者や世界全体の幸福を願った彼の理想と優しさが凝縮された言葉です。
「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我するんです。幸福に傷つけられる事もあるんです」
太宰治 (1909〜1948) 『人間失格』などで知られる作家。人間の弱さや本質を的確に突いた言葉。幸福に直面したときでさえ、それを失うことや変化を恐れてしまう人間のナイーブな側面を「綿で怪我する」という独自の表現で示しています。
「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」
伊達政宗 (1567〜1636) 東北の名将、伊達政宗が残した訓示の一つ。本来は質素倹約を推奨する言葉ですが、現代では「人生を一時的な滞在(客)と考えれば、苦難も受け流せる」という、達観した人生観を示す言葉として知られています。
「背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうこともあり得る。それが人生の面白さである」
城山三郎 (1927〜2007) 昭和を代表する経済小説の大家。無理かもしれないと思いながらも「背伸び」して挑戦し続けるうちに、いつの間にかそれが自分の実力になっていることがある。そんな人生の面白さ、成長の可能性を示唆しています。
「もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である」
渋沢栄一 (1840〜1931) 近代日本経済の父・渋沢栄一が、満足して立ち止まることの危険性を説いた言葉。学校の成績や仕事の成果に満足しそうな時こそ、この言葉を思い出し、さらなる成長を目指すことが重要だと教えてくれます。
「泥土の下には盤石あり、雲霧の上には太陽あり。不平の極には又幸と望なきに非らず。」
内村鑑三 (1861〜1930) 明治時代のキリスト教思想家。災害時など、つらく困難な状況(泥土、雲霧)にあっても、その下には必ず安定した基盤(盤石)や希望(太陽)がある。不平不満の先にも幸福や希望はあると説いています。
「自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。」
夏目漱石 (1867〜1916) 『思い出す事など』に登場する一文。自然災害は誰に対しても公平だが容赦がない。一方、人間社会には不正もあるが、同時に情けや交渉の余地もある。両者の「敵」としての性質の違いを鋭く対比させています。
「まともでない人間の相手をまともにすることはない」
伊達政宗 (1567〜1636) 戦国のカリスマ・伊達政宗の、処世術の極意ともいえる一言。正論が通じない相手に真正面から対応しても疲弊するだけ。冷静に距離を取ったり受け流したりすることも大切だという、現実的な知恵です。
「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」
徳川家康 (1543〜1616) 江戸幕府を開いた徳川家康の遺訓とされる言葉。人生とは重い荷物を背負って長い道を行くようなものだ。焦らず、不自由を常と思えば不満は生じない。忍耐強く好機を待った彼の生涯を象徴しています。
努力・才能・芸術

「風景こそが最大の師」
雪舟 (1420〜1506) 室町時代の水墨画家。中国に渡り、各地の壮大な自然(風景)から多くを学び、独自の画風を確立しました。従来の日本の画とは異なる、自然の描写に定評があった彼の信念を表す言葉です。
「人はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛または非難に値する」
レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452〜1519) 「万能の天才」と呼ばれたが、生涯で完成させた作品は少ないとされるダ・ヴィンチの言葉。あらゆる分野で努力を続けた彼だからこそ、物事を最後まで「やり通す力」の重要性を痛感していたのかもしれません。
「美は余分なものの浄化である」
ミケランジェロ (1475〜1564) ダ・ヴィンチと並ぶ万能の天才。彫刻家として、大理石の中から不要な部分を取り除き、内なる形を解放することが「美」であると考えた彼の哲学が表れています。
「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」
ウィリアム・シェイクスピア (1564〜1616) 『ハムレット』の主人公が語る有名なセリフ。劇作家として数々の名作を残したシェイクスピアですが、彼自身については謎が多く、実在しない説さえあります。
「普段から 本番のように、本番は普段のように」
宮本武蔵 (1584〜1645) 「二天一流」の開祖である剣豪・宮本武蔵の言葉とされます。日頃の稽古(普段)から本番さながらの真剣さで臨み、逆に本番では普段通りのリラックスした平常心を保つことの重要性を説いています。
「私は小鳥が歌ように、絵を描きたい」
クロード・モネ (1840〜1926) 『睡蓮』などで知られる印象派の画家。自然界の光や大気の移ろいを、絵の具本来の質感を生かして表現しようとした彼の、純粋な創作への姿勢が表れています。
「自然がつくりあげたものこそが美しい」
アントニ・ガウディ (1852〜1926) サグラダ・ファミリアなどで知られる建築家。「世の中に新しい創造なんてない。あるのは発見である」とも語った彼は、自然の造形を模範とすることが最も美しいと考え、作品に取り入れました。
「何の後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう」
フィンセント・ファン・ゴッホ (1853〜1890) 生前は評価されず、失敗を重ねた画家ゴッホの言葉。「99回倒れても100回立ち上がればいい」とも語った彼ですが、後悔や失敗こそが人生に深みを与えると捉えていたことがうかがえます。
「私の芸術は、自己告白である」
エドヴァルド・ムンク (1862〜1944) 『叫び』で有名なノルウェーの画家。幼少期に母や姉を亡くし、自身も病に苦しんだ彼の作品には、不安や死への恐怖が色濃く表現されており、まさに彼の内面を映す「自己告白」でした。
「天才とは1%のひらめきと、99%の努力である」
トーマス・エジソン (1847〜1931) 「発明王」エジソンの有名な言葉。フィラメントの実験で100回失敗しても「適していない素材を100個発見した」と語った逸話も有名。この言葉は、ひらめき(才能)以上に、膨大な努力の重要性を説いています。
「優秀な芸術家は模範し、偉大な芸術家は盗む」
パブロ・ピカソ (1881〜1973) 20世紀最大の画家ピカソの言葉。単に表面を真似る(模倣する)のではなく、先人の作品の本質を理解し、それを自分のものとして昇華させる(盗む)ことこそが、偉大な創造につながるという芸術論です。
「まずは「出来る」って言う。方法はそれから」
円谷英二 (1901〜1970) 「特撮の父」と呼ばれ、ゴジラやウルトラマンを生み出した監督。撮りたい場面を実現するため、あらゆるアイディアを巡らせた彼の姿勢が表れています。まず「できる」と決意し、その後に方法を探すという発想の転換です。
「天才になるには、天才のふりをすればいい」
サルバドール・ダリ (1904〜1989) 奇抜な言動で知られる天才芸術家ダリの言葉。一見傲慢に聞こえますが、自らを天才と信じ、そのように振る舞うことで、才能を引き出し、周囲にもそう認識させてきた彼のエンターテイメント精神の表れでもあります。
「ドラマとは退屈な部分がカットされた人生である」
アルフレッド・ヒッチコック (1899〜1980) 「サスペンスの神様」と称される映画監督。「サイコ」などを手掛け、独特の映像表現でサスペンス映画の地位を向上させました。映画(ドラマ)とは、人生の最も劇的な部分だけを切り取ったものであるという彼の映画哲学です。
「人を信じよ。しかし、その百倍自らを信じよ」
手塚治虫 (1928〜1989) 「マンガの神様」と評される伝説的な漫画家。ディズニーなどに感化され、医大生と漫画家の二足のわらじを履きながら、最後は漫画家を選びました。他者を信じること以上に、自らの可能性を信じることの重要性を説いています。
「人間の 本性を無視した社会制度は、おそらく失敗するだろう」
スタンリー・キューブリック (1928〜1999) 『時計じかけのオレンジ』などを手掛けた映画監督。独特な撮影方法と現実主義的な作風で知られます。社会制度がいかに理想的であっても、人間の根本的な本性(欲望や暴力性など)を無視すれば、それは機能しないだろうという洞察です。
「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」
宮本武蔵 (1584〜1645) 『五輪書』を著した剣豪・宮本武蔵の言葉。鍛(基礎)を固めるのに千日(約3年)、錬(応用・洗練)の域に達するのに万日(約30年)かかるという意味。一つの道を極めるには、それほどの継続した努力が必要だということです。
「かけがえのない人間になりたいのなら、人と同じことをしてちゃだめよ」
ココ・シャネル (1883〜1971) ファッションデザイナーとして女性の生き方を変えたココ・シャネルの言葉。他人と同じことをしていては、その他大勢の一人に過ぎない。自分だけの価値を持つ「かけがえのない」存在になるためには、独自性を追求すべきだと説いています。
「ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。彼になしえられる努力が、自分になしえられぬはずがない。」
野口英世 (1876〜1928) 黄熱病の研究に生涯を捧げた細菌学者。偉大な人物が成し遂げた努力を引き合いに出し、自分にそれができないはずはないと自らを鼓舞する言葉。努力に限界を設けず、なまけ心に打ち勝とうとする強い意志が表れています。
「心、常に、道を離れず。」
宮本武蔵 (1584〜1645) 生涯を剣の道に捧げた宮本武蔵が『五輪書』で説いた信念。自分の信じた道、目指すべき目標から、心が常に離れないように(ブレないように)鍛錬し続けることの重要性を示しています。
愛・情熱・音楽

「音楽だけが世界語であり、翻訳される必要がない」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685〜1750) 「音楽の父」と呼ばれる大作曲家。生前はオルガニストとしての評価が高かったが、死後100年を経て再評価されました。音楽は言語の壁を超え、直接人の心に訴えかける「世界共通語」であると述べています。
「愛、愛、愛。それこそが天才の真髄である」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756〜1791) 幼少期から天才と称された作曲家。彼の情熱の源泉は、偏に「音楽への愛」であったとされます。下ネタ好きやマリア・テレジアへの求婚エピソードなど、その感性は別格であったと伝えられます。
「音楽とは、男からは炎を打ち出すもので、女から涙を引き出すものでなければならない」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770〜1827) 聴力を失いながらも「第九」などの名曲を生み出した「楽聖」。宮廷音楽のルールに背き、大衆に向けた情熱的な音楽を創造した彼の、音楽に対する力強い信念が表れています。
「僕の音楽は、僕の苦悩から生まれるのだ」
フランツ・シューベルト (1797〜1828) 「歌曲の王」と呼ばれるが、生前は評価されず、困窮と病苦の中で31歳の若さで亡くなった作曲家。彼の作品に込められた深い叙情性や孤独感は、まさに彼自身の「苦悩」から生まれたものでした。
「私を真似てはけない。これは私だから成功したのだ」
フランツ・リスト (1811〜1886) 「ピアノの魔術師」と呼ばれた超絶技巧のピアニスト。優れた容姿と誰も真似できない演奏技術を体得した彼だからこそ到達できた境地であり、他人が表面だけを真似しても意味がないという自負が表れています。
「愛とは作るものではなく、与えるものである」
ニコラ・テスラ (1856〜1943) エジソンのライバルとして知られる天才発明家。交流電気方式や無線操縦などを発明し、壮大な構想を提唱しました。この言葉は、愛は見返りを求めて「作る」ものではなく、自ら進んで「与える」ものであるという彼の哲学を示しています。
「音楽は心で生まれ、心に届かなければ意味がない」
セルゲイ・ラフマニノフ (1873〜1943) ロシアのピアニスト・作曲家。当時は古臭いと酷評されたクラシックの王道にこだわり続け、後にアメリカで高い評価を得ました。技術や理論だけでなく、作曲家の「心」から聴衆の「心」へ届けることこそが音楽の本質だと説いています。
政治・リーダーシップ・戦略

「目には目を、歯には歯を」
ハンムラビ (紀元前1810頃〜紀元前1750) ハンムラビ法典で知られる古代メソポタミアの王の言葉。これは復讐を推奨するものではなく、当時「やられたら倍返し」が常識だった中で、「受けた被害と同等の罰まで」と制限を設けることで、過剰な報復を防ぎ、加害者を守るためのルールでした。
「国家をつくる要因となるものは、我々の必要性ということにあるようだ」
プラトン (紀元前427頃〜紀元前347) 古代ギリシャの哲学者。主著『国家』で、哲人王が統治する理想国家を説きました。この言葉は、人々が互いの「必要性」を満たすために協力すること(食料、住居、衣服など)こそが、国家成立の根源であるという彼の考えを示しています。
「去る者は去れ」
アレクサンドロス大王 (紀元前356〜紀元前323) 20歳で王となり、ペルシア帝国を滅ぼすなど大帝国を築いた大王。長引く東方遠征に不満を漏らす兵士たちに対し、彼はこう言って鼓舞したとされます。最終的には兵士の意見を聞き入れ、遠征は断念しました。
「方法は見つける。なければ作る」
ハンニバル・バルカ (紀元前247〜紀元前183) 第二次ポエニ戦争でローマを苦しめたカルタゴの将軍。真冬のアルプス越えなど、常識外れの奇襲を成功させた彼の信念を表す言葉。不可能と見える課題に対しても、執念で解決策を探し出す姿勢を示しています。
「ブルータス、お前もか」
ガイウス・ユリウス・カエサル (紀元前100〜紀元前44) ローマの独裁官となったが、元老院によって暗殺されたカエサル。最期に、信頼していたブルータスが暗殺者の中にいるのを見て、この言葉を漏らしたと伝えられています。裏切りに対する驚きと絶望が込められています。
「世界で余だけが金を持てばいい。そして余は兵士に金を与えたい」
カラカラ帝 (188〜217) 五賢帝亡き後のローマ皇帝。ローマ市民権を全属州民に与えて徴税対象を拡大する一方、軍事を偏重し虐殺を繰り返したため「ローマ史上最悪の皇帝」の一人とされます。彼の口癖だったこの言葉に、その思想が表れています。
「皇帝の権威は地に堕ちたと思っていました。しかし、あなたを見て考えが変わりました」
ゼノビア (240頃〜274頃) パルミア王国の「戦士女王」。ローマの混乱に乗じて領土を拡大しましたが、新皇帝アウレリアヌスに敗北。捕虜となった際、敵将である皇帝の威厳を称賛したとされる言葉です。
「ソロモンよ! 我は汝に勝てり」
ユスティニアヌス1世 (483〜565) ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の大帝。領土を拡大し、ローマ法大全を編纂しました。キリスト教の聖堂(ハギア・ソフィア大聖堂)を再建した際、かつて神殿を建てた古代イスラエルのソロモン王を超えたと宣言した言葉です。
「正しい行動は知識だけよりも良いものだ。しかし、正しいことをするには何が正しいか、知る必要がある」
カール大帝 (742〜814) フランク王国を広大な領土に拡大した大帝。行動(実践)は知識だけよりも優れているが、その行動が「正しい」ものであるためには、まず「何が正しいか」を知るための知識(学び)が必要であると説いています。
「神にはスペイン語で、女にはイタリア語で、男にはフランス語で、馬にはドイツ語で話しかける」
カール5世 (1500〜1558) ハプスブルク家の最盛期を築き、神聖ローマ皇帝とスペイン王を兼任した皇帝。広大な領土を統治した彼ならではの、各言語のイメージをユーモラスに表現した言葉です。(実際はフランス語とスペイン語のみ流暢だったとされます)
「私はか弱い女性に過ぎません。ですが王としての心と気概を持ってます」
エリザベス1世 (1533〜1603) イングランドの女王。「私は国と結婚している」とも語った彼女は、スペインの無敵艦隊との決戦前、兵士たちを前にこう演説し、鼓舞しました。この勝利でイングランドは強国としての地位を確立しました。
「是非に及ばず」
織田信長 (1534〜1582) 天下統一を目前に、家臣・明智光秀の謀反(本能寺の変)に遭った信長が、最期に漏らしたとされる言葉。「もはや議論している場合ではない」「仕方がない」といった、運命を受け入れる諦念や覚悟が感じられます。
「負けると思えば負ける、かつと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし」
豊臣秀吉 (1537〜1598) 足軽から天下統一を果たした豊臣秀吉の言葉。「人たらし」と呼ばれた彼の人身掌握術と、強靭な精神力(セルフイメージ)の重要性を示しています。まず自分が「勝つ」と信じ込むことが勝利につながると説いています。
「必要の前に法律はない」
オリバー・クロムウェル (1599〜1658) イングランド革命を指導し、チャールズ1世を処刑に追い込んだ「王殺し」。後に護国卿として独裁政治を行いました。大義(必要)の前では、既存のルール(法律)さえも絶対ではないとする、彼の革命家としての一面を示しています。
「私は最後の日に至るまで、誰よりも慈悲深い女王であり、必ず正義を守る国母でありたい」
マリア・テレジア (1717〜1780) オーストリア(ハプスブルク帝国)の女帝。女性であることからオーストリア継承戦争が勃発しましたが、その非凡な才能で国を導きました。「国母」として、慈悲と正義をもって国民に尽くそうとする彼女の決意が表れています。
「余の辞書に不可能という文字はない」
ナポレオン・ボナパルト (1769〜1821) フランス革命の混乱期に現れた英雄ナポレオンの有名な言葉。コルシカ島出身で出世の可能性が低かった彼が、自らの力で皇帝にまで上り詰めたように、強い意志と実行力で不可能を可能にしてきた自負が表れています。
「問題は演説や多数決ではなく、鉄と血によって解決される」
オットー・フォン・ビスマルク (1815〜1898) ドイツ統一を成し遂げた「鉄血宰相」。彼のこの「鉄血演説」は、当時のリベラルな議会を批判し、国家の難局を乗り越えるためには議論ではなく、軍備(鉄)と兵士の犠牲(血)が必要であると説いたものです。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」
平重盛 (1138〜1179) 平清盛の長男。父・清盛と、主君である後白河法皇との対立に板挟みとなり苦悩した際に漏らした言葉。主君への「忠義」と、父への「孝行」が両立しないジレンマを表現しており、現代の組織と家族の葛藤にも通じます。
「およそ例という文字をば、向後は時という文字にかえて、お心得あるべし」
山名宗全 (1404〜1473) 応仁の乱の西軍総大将。「先例がない」と苦情を述べた公卿に対し、「先例を重んじるより、今この時(の状況)が大事だ」と反論した言葉。旧習に囚われず、時代の変化に対応することの重要性を説いています。
「勝って兜の緒を締めよ」
北条氏綱 (1487〜1541) 戦国大名・後北条氏の地位を確立した氏綱が、嫡子・氏康に残した遺言。戦いに勝った時こそが最も油断しやすい瞬間であるため、勝利に驕ることなく、兜の緒を締め直すように気を引き締めよ、という戒めの言葉です。
「落ちぶれているときは平素親しくしている人も声を掛けてくれなくなる。だからこそ、そういう時に声を掛けてくれる者こそ信用できる人間である。」
前田利家 (1539〜1599) 加賀百万石の祖。若い頃、信長の怒りを買い出奔していた苦労時代を振り返っての言葉。自分が逆境にあるときにこそ、その人の真価や人間関係の本質が見えるという、実体験に基づいた教訓です。
「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎればへつらいとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。」
伊達政宗 (1567〜1636) 東北の名将・伊達政宗が、儒教の徳目「仁義礼智信」について述べた言葉。これらは重要だが、何事も「過ぎれば」かえって弱点になる。「過ぎたるは及ばざるが如し」という、バランス感覚の重要性を説いています。
「真の勇士とは責任感が強く律儀な人間である。」
加藤嘉明 (1563〜1631) 秀吉子飼いの武将で、武勇で知られた加藤嘉明の言葉。単に腕っぷしが強い者ではなく、主君の命令を律儀に守り、苦しい場面でも責任感を持って踏みとどまれる人間こそが、集団戦における「真の勇士」だという信念です。
「家中の者どもは将棋の駒と思え。」
細川忠興 (1563〜1647) 武勇と茶道に通じた武将・細川忠興が跡継ぎに語った組織論。将棋の駒にそれぞれの役割があるように、家臣にも適性がある。一見役に立たない者でも別の場面で輝くことがある、「適材適所」を見極めよという教えです。
「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」
武田信玄 (1521〜1573) 戦国最強と謳われた武田信玄が、組織における「人」の重要性を説いた言葉。堅固な城郭よりも、人々の信頼や結束こそが最強の守り(城・石垣・堀)であり、情けは味方を作るが、仇を作れば敵となると教えています。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ」
山本五十六 (1884〜1943) 太平洋戦争時の連合艦隊司令長官・山本五十六が説いた「人の育て方」。単に命令するのではなく、まず自ら手本を示し、説明し、やらせてみて、最後に褒めることで、人は初めて主体的に動くのだという指導論の神髄です。
「失敗の責任は主君に、成功の功績は家臣に」
曹操 (155〜220) 三国志の英雄・曹操の言葉とされるリーダー論。部下を持つ立場になった際、失敗の責任は自分が負い、成功は部下の手柄とする度量を持つことの重要性を示しており、上司の心得として知られます。
「意志あるところに道は開ける」
エイブラハム・リンカーン (1809〜1865) 「人民の人民による人民のための政治」という演説でも知られるアメリカ大統領の言葉。困難な状況であっても、「必ず成し遂げる」という強い意志を持って行動し続ければ、必ず道は開けると勇気づけてくれます。
「人は得ることで生活を営むことはできるが、人に与えることで真の人生を生きることができるのだ」
ウィンストン・チャーチル (1874〜1965) イギリスの首相。仕事をして対価(給料)を得ることで「生活」はできるが、他者に何かを「与える」こと(貢献や奉仕)によってこそ、本当の「人生」を豊かに生きることができるのだ、と説いています。
「遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」
二宮尊徳 (1787〜1856) 江戸時代の農政家、二宮金次郎として知られます。目先の利益(近く)にとらわれる者は貧しくなり、将来を見据えて行動(遠きをはかる)する者が豊かになる。長期的な視点の重要性を説いた言葉です。
「備えを怠る者は、失敗への準備をしているのと同じ」
ベンジャミン・フランクリン (1706〜1790) アメリカ建国の父の一人。事前にしっかりと準備(備え)をしないことは、すなわち「自分は失敗します」と準備しているようなものだ、という強烈な皮肉を込めて、準備の徹底を訴えた言葉です。
「夏に扇を操らず、雨に蓋を張らず、衆と同じくするなり。」
諸葛孔明 (181〜234) 中国・三国時代の天才軍師。暑いからと自分だけ涼んだり、雨だからと自分だけ傘をさしたりはしない。リーダーが高い地位にあっても、部下たちと同じ苦楽を共にすることの重要性を説いています。
社会・変革・歴史

「あなたが何者であるかを放棄し、信念を持たずに生きる事は、死ぬことよりも悲しい。若くして死ぬことよりも」
ジャンヌ・ダルク (1412頃〜1431) 百年戦争でフランスを勝利に導いた聖女。神の啓示という自らの「信念」に従い、戦い、そして火刑に処されました。信念を捨てて生き永らえることは、死よりも悲しいことだという彼女の強い意志が表れています。
「奴隷は彼らの鎖の中で全てを失う。そこから逃れたい欲望までも」
ジャン=ジャック・ルソー (1712〜1778) フランスの哲学者。『社会契約論』で知られます。あまりにも長く隷属状態(鎖)にいると、人はそれに慣れてしまい、ついには「自由になりたい」という本来の欲望さえ失ってしまう、という人間の恐ろしい適応性を指摘しました。
「最大多数の最大幸福」
ジェレミ・ベンサム (1748〜1832) イギリスの哲学者で「功利主義」の提唱者。「個人の幸福の総和が社会の幸福である」と考え、政治の目的は、できるだけ多くの人々(最大多数)に、できるだけ多くの幸福(最大幸福)をもたらすことであるべきだと主張しました。
「私有財産は窃盗である」
ピエール=ジョゼフ・プルードン (1809〜1865) フランスの無政府主義者(アナーキスト)。人間社会の不平等の根源は、土地や生産手段を個人が「私有」することにあると考えました。資本家が労働者から富を搾取する構造を「窃盗」と厳しく批判した言葉です。
「人民の人民による人民のための政治」
エイブラハム・リンカーン (1809〜1865) 南北戦争の激戦地ゲティスバーグでの演説の一節。民主主義の根幹(政治は人民のものであり、人民によって運営され、人民の利益のためにあるべき)を簡潔に表現した、歴史上最も有名な演説の一つです。
「各時代の支配的な思想は、どの時代でも支配階級の思想である」
カール・マルクス (1818〜1883) 『資本論』を著し、社会主義思想に大きな影響を与えた哲学者。社会で一般的とされる「常識」や「思想」は、実際にはその時代を支配している階級(資本家など)にとって都合の良いイデオロギーに過ぎないと喝破しました。
「もうここらでよか」
西郷隆盛 (1828〜1877) 明治維新の立役者でありながら、最期は西南戦争で新政府軍と戦った西郷隆盛の最期の言葉とされます。自決の際に、これまでの人生と運命を受け入れる、彼の潔い覚悟が込められています。
「人々の力になること、これは人類の共通の義務なのです」
マリー・キュリー (キュリー夫人) (1867〜1934) 女性として初めてノーベル賞を受賞した科学者。女性差別やスキャンダルと戦いながらも研究を続けました。彼女のこの言葉は、自らの才能や力を他者(人々)のために役立てることは、全ての人に共通する義務であるという信念を示しています。
「国家がある限り自由はない。国家の消滅が自由を打ち立てるのだ」
ウラジミール・レーニン (1870〜1924) 人類史上初の社会主義国家(ソビエト連邦)を樹立した革命家。マルクス主義に基づき、国家とは階級支配の道具であると考え、真の自由(階級のない共産主義社会)を実現するためには、国家そのものが消滅しなければならないと説きました。
「私が人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれた」
フランクリン・ルーズヴェルト (1882〜1945) 世界恐慌と第二次世界大戦という国難を乗り越えたアメリカ大統領。ニューディール政策などで国民のために尽力した彼の経験から、他者への貢献(人のために働く)が、結果として他者からの協力(人のために働いてくれた)を引き出すという、相互扶助の精神を語っています。
「拳と握手ができない」
マハトマ・ガンディー (1869〜1948) インド独立の父。「非暴力・不服従」を掲げた彼の哲学を象徴する言葉。暴力(拳)を握りしめたままでは、相手と和解し、手を取り合う(握手)ことはできない。まずはこちらが暴力の意志を捨てることの重要性を説いています。
「小さな嘘よりも大きな嘘に騙されやすい」
アドルフ・ヒトラー (1889〜1945) ナチス・ドイツの独裁者。彼は演説の天才であり、大衆心理を巧みに操りました。人々は小さな嘘には疑いを持つが、あまりにもスケールの大きな「大嘘」は、かえって「まさかそんな嘘はつかないだろう」と信じ込んでしまう、という大衆操作の本質を突いた言葉です。
「20歳までに自由主義でなければ情熱が足りない。40歳までに保守主義者でなければ知能が足りない」
ウィンストン・チャーチル (1874〜1965) 第二次世界大戦を勝利に導いたイギリスの首相。若い頃は理想を追う情熱(自由主義)が必要だが、年齢を重ねて現実を知れば、既存の秩序を守る知性(保守主義)を持つようになる、という人間の変化を皮肉を込めて語った言葉です。
「自由のために死ぬ覚悟がなければ、「自由」と言う言葉をお前の辞書から消すがいい」
マルコムX (1925〜1965) キング牧師と並ぶ黒人解放運動の指導者。当初は暴力も辞さない強硬派でした。彼にとって「自由」とは、生半可なものではなく、命を懸けてでも勝ち取るべきものであり、その覚悟がない者に自由を語る資格はないと厳しく説いています。
「私には夢がある。それは、いつの日か子供達が肌の色によってではなく人格によって評価される国に住むと言う夢である」
キング牧師 (マーティン・ルーサー・キング・ジュニア) (1929〜1968) 非暴力を掲げた黒人公民権運動の指導者による、歴史的な演説の一節。人種差別が根強く残るアメリカ社会において、肌の色ではなく、その人の内面(人格)によって評価される、平等な未来への強い希望を語りました。
「近視眼的な投資では理性を失い、結果としてお金と時間を失う」
ウォーレン・バフェット (1930〜) 「投資の神様」と呼ばれる世界的な投資家。短期的な値動き(近視眼的)に一喜一憂する投資は、冷静な判断(理性)を失わせ、結果的に失敗する。彼は一貫して、企業の真の価値を見極める「長期投資」の重要性を説いています。
「反対があるのは健全なこと。本当に力のあるアイデアか試されるわけだから」
ビル・ゲイツ (1955〜) マイクロソフトの創業者。新しいアイデアには必ず「反対」が伴うが、それは悪いことではなく、むしろ健全な証拠である。その反対意見を乗り越える議論を通じて、アイデアが本物かどうか(本当に力があるか)が試されるのだ、と述べています。
「変わらないものを軸に戦略を立てろ」
ジェフ・ベソス (1964〜) Amazonの創業者。変化の激しいインターネット業界において、変わっていくもの(技術など)ではなく、「より安く、より早く、より多くの品揃え」といった、顧客が普遍的に求める「変わらないもの」を軸に戦略を立てるべきだと説いています。
「インターネットとは結局のところ、「人々が求めているものを与えるようにつくられた巨大な装置」だ。それはユートピアでも魔法でもない。単なる、便利さのためのエンジンだ」
エヴァン・ウィリアムズ (1972〜) Twitter(現X)などの創業者。インターネットを過度に理想化(ユートピア)するのではなく、あくまで人々の「基本的な欲求」を、より速くシンプルに満たすための「便利な道具(エンジン)」であると、その本質を冷静に分析しています。
「そんなバカなことはできない」と誰もが思うことならば、競争相手はいないも同然だ」
ラリー・ペイジ (1973〜) Googleの創業者の一人。大学在学中にGoogleを創業した彼の、常識破りな発想が表れた言葉。ほとんどの人が「不可能だ」と諦めるようなアイデアにこそ、競争相手のいない独創的なビジネスチャンスが眠っていると説いています。
「誰もが目的意識を持つ世界を創造することが私たちの挑戦です」
マーク・ザッカーバーグ (1984〜) Facebook(現Meta)の創業者。ハーバード大学在学中にFacebookを開発しました。彼は自社のミッションを、単なるSNSの提供に留めず、世界中の人々が「生きる意味(目的意識)」を見出せるようなコミュニティを創造することだと語っています。
「天災は忘れた頃にやってくる」
寺田寅彦 (1878〜1935) 物理学者であり随筆家でもある寺田寅彦が、災害への備えの重要性を説いたとされる言葉。平穏な日々が続くと防災意識は薄れがちだが、天災は必ず再びやって来るため、常に対策を怠ってはならないという戒めです。
「地震は何度でもやってくる。大きな被害を出さないため、公園と道路をつくる。」
後藤新平 (1857〜1929) 関東大震災からの帝都復興を指揮した後藤新平の信念。目先の復旧だけでなく、将来再び起こる災害に備え、延焼を防ぐための広い道路や避難場所となる公園の整備こそが重要だという、防災都市計画の思想を示しています。
「全てを失った日本が得たものは、希望だ…富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。」
村上龍 (1952〜) 東日本大震災後に作家・村上龍が発した言葉とされる。震災によって物質的な「富」の多くを失ったが、それと引き換えに、物質主義に陥っていた日本人は、未来を信じる「希望」という種を取り戻したのではないか、と問いかけています。
「生きて帰ってきたのは偶然じゃない。これが俺たちの使命」
サンドウィッチマン (伊達みきお 1974〜, 富澤たけし 1974〜) お笑いコンビのサンドウィッチマンが、東日本大震災で被災した経験を語った言葉。ロケ中に被災し、九死に一生を得たのは単なる偶然ではなく、この経験を伝え、被災地を支援し続けることが自分たちに与えられた「使命」であるという決意です。
「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」
オットー・フォン・ビスマルク (1815〜1898) ドイツ統一を成し遂げた「鉄血宰相」ビスマルクの言葉とされる。自分が直接体験したこと(経験)からしか学べない者を「愚者」とし、他者や過去の出来事(歴史)から教訓を学び、未来に活かせる者を「賢者」としました。
「過去の歴史に盲目なものは、現在においても盲目である」
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー (1920〜2015) 元ドイツ大統領。ナチス・ドイツの過去と向き合った演説で知られます。過去(特に自国の過ち)から目をそらす者は、現在起きている問題の本質をも見誤る(盲目である)という、歴史の直視を迫る厳しい言葉です。
「われわれは、われわれの歴史の中にわれわれの未来の秘密がよこたわっているということを本質的に知る」
岡倉天心 (1863〜1913) 『東洋の理想』などで知られる思想家。未来は全く新しいものではなく、自分たちの過去(歴史や文化)の中にこそ、未来を切り開く鍵(秘密)が隠されている。我々はそのことを本能的に知っているはずだと説いています。
「過去を思い起こし得ないものは、過去を繰り返すように運命づけられている」
ジョージ・サンタヤナ (1863〜1952) スペイン出身の哲学者。歴史から学ばず、過去に犯した過ちを忘れてしまう(思い起こせない)者は、再び同じ過ちを繰り返すことになる、という歴史の教訓の重要性を強く警告しています。
「現在というものは、過去のすべての生きた集大成である」
トーマス・カーライル (1795〜1881) イギリスの歴史家・思想家。「現在」という瞬間は、それまでに生きてきた「過去」の全ての選択と行動が積み重なった結果(集大成)である。過去なくして現在はあり得ないという、歴史の連続性を示しています。
「歴史の目的は、過去の実例によってわれわれの欲望とか行動を導くような知識を教えることにある。」
ウォルター・ローリー (1552頃〜1618) 『世界史』を著したイギリスの探検家。歴史を学ぶ目的は、単に過去を知ることではなく、過去の様々な「実例」から教訓を得て、現在(われわれ)の行動の指針となる「知識」を得ることにあると述べています。
「過去を広く深く見渡すことができれば、未来も広く深く見渡すことができるであろう」
ウィンストン・チャーチル (1874〜1965) イギリスの首相。歴史(過去)を深く理解することこそが、未来を予測し、より良い選択をするための鍵になるという、歴史学の重要性を示しています。
「未来のことはわからない。しかし、われわれに過去が希望を与えてくれるはずである。」
ウィンストン・チャーチル (1874〜1965) チャーチルのもう一つの歴史観。未来は不確実だが、人類が過去に数々の困難を乗り越えてきたという「歴史の事実」こそが、我々が未来に向かって進むための「希望」を与えてくれると語っています。
「現代に生きる人間は、それに先立つ幾世代の文化によって育てられた果実に他ならず…」
サミュエル・スマイルズ (1812〜1904) 『自助論』の著者。現代人は、過去の世代が築き上げた文化(果実)によって生かされており、同時に、自らの行動によって「はるか遠い過去」と「ずっと先の未来」とを繋ぐ役割(磁石)を担っていると説いています。
「歴史とは現在と過去との対話である」
E.H.カー (1892〜1982) イギリスの歴史家E.H.カーの言葉。歴史とは、単なる過去の事実の羅列ではなく、現代に生きる私たちが「現在」の視点から「過去」に問いかけ、そこから答え(教訓や意味)を引き出す、終わりのない対話のプロセスであると説きました。
「過ぐる時代の誤りは、われわれに教訓を与えるために、われわれがそれをくりかえさないために記録されている」
ウィリアム・グラッドストン (1809〜1898) イギリスの首相。歴史(特に過去の誤り)が記録されている理由は、後世の我々がそこから「教訓」を学び、同じ過ちを「くりかえさない」ためであるという、歴史の教育的な側面を強調しています。
「あらゆる歴史は、それが当代の証拠によって支持されない限りロマンスである。」
サミュエル・ジョンソン (1709〜1784) イギリスの詩人・批評家。歴史記述の厳密さを求めた言葉。同時代の信頼できる「証拠」によって裏付けられていない歴史は、単なる作り話(ロマンス)と変わらないと、その客観性を強く要求しています。
「あらゆる歴史は、天国と地獄の両極端の間にある世界の振動の記録にすぎない。」
バーナード・ショー (1856〜1950) アイルランドの劇作家。歴史とは、繁栄(天国)と没落(地獄)の間を振り子のように行ったり来たりする「振動の記録」に過ぎない。人々は単に動いているだけなのに、それを「進歩」と勘違いしている、と皮肉っています。
「三千年の歴史から学ぶことを知らぬ者は、知ることもなく、闇の中にいよ、その日その日を生きるとも。」
ゲーテ (1749〜1832) ドイツの文豪ゲーテの言葉。人類が積み重ねてきた長い歴史(三千年)から学ぼうとしない者は、結局何も知らないまま、目先のことだけにとらわれた浅薄な生き方しかできない、と厳しく指摘しています。
「思想の歴史は過誤の歴史である。しかし、あらゆる過誤を通じて、それはまた、行為が徐々に純化される歴史でもある。」
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド (1861〜1947) イギリスの哲学者・数学者。思想の歴史は一見すると間違い(過誤)の連続に見えるが、その試行錯誤(過誤)を通じて、人間の「行為」は徐々により良いものへと「純化」されてきたのだ、と歴史の進歩的な側面を評価しています。
「人間がいかなる態度をとるべきかについて、過去のものは、人間に教える力がない。」
カール・ヤスパース (1883〜1969) ドイツの哲学者。歴史(過去)は、我々がどう生きるべきかの「答え」を直接教えてはくれない。我々は自ら過去を振り返り、その光の中で、自ら「決断」しなければならないのだ、と人間の主体性を強調しています。
「歴史とは、明確にされた経験である。」
ジェイムズ・ラッセル・ローウェル (1819〜1891) アメリカの詩人。歴史とは、単なる個人のバラバラな「経験」ではなく、それが整理され、意味づけられ、客観的に「明確にされた」人類共通の経験知である、と定義しています。
「歴史の任務は、人間の冒険に意味を与えることです。神々がそうであったように。」
アンドレ・マルロー (1901〜1976) フランスの作家・政治家。かつて神話(神々)が人々の行動に意味を与えていたように、現代における「歴史」の役割とは、我々人間が歩んできた道(冒険)に、後から「意味」を発見し、与えることにあると述べています。
「歴史というものは、自己認識において誤りなきを期するに有力な手がかりを与えてくれるもの…」
松下幸之助 (1894〜1989) パナソニック(旧・松下電器)の創業者。歴史を学ぶことは、自社や自分自身が今どのような状況にあるのかを客観的に知る(自己認識)ための、強力な「手がかり」となる。21世紀を目指す上でも歴史に学べ、と説いています。
科学・探求

「私に支点を与えたまえ。そうすれば地球を動かしてみせる」
アルキメデス (紀元前287〜紀元前212) 古代ギリシャの数学者・物理学者。「テコの原理」を数学的に証明した彼が、その原理の絶大な力を表現した言葉。もし宇宙に確かな「支点」さえあれば、テコを使ってこの「地球」さえも動かせる、という壮大な比喩です。
「それでも地球は動いている」
ガリレオ・ガリレイ (1564〜1642) 地動説を唱え、宗教裁判で有罪判決を受けたガリレイが、その判決の後に呟いたとされる有名な言葉。(史実ではない可能性が高いですが)自説を撤回させられてもなお、科学的真理への信念を曲げなかった彼の象徴として語り継がれています。
「神は全てを数と重さと尺度から創造された」
アイザック・ニュートン (1642〜1727) 「万有引力の法則」などを発見した物理学者。ペストの流行で故郷に疎開していた1年半の間に、三大発見の着想を得たと言われます。敬虔なキリスト教徒でもあった彼は、この世界(神の創造物)は、数学的な秩序(数・重さ・尺度)に基づいていると考えました。
「意識は精神過程の最も一般的な性質でありえず、特殊な一つの機能に過ぎない」
ジークムント・フロイト (1856〜1939) 精神分析学の創始者。人間の精神は「意識」されている部分が全てではなく、むしろ「無意識」の領域が行動に強い影響を与えていることを突き止め、従来の人間観を大きく変えました。
「神はサイコロを振らない」
アルベルト・アインシュタイン (1879〜1955) 相対性理論を発表した物理学者。この言葉は、万物が確率で決まるという「量子力学」の不確かさに対する彼の批判です。彼は「宇宙の根本法則は、偶然(サイコロ)によって決まるような曖昧なものではないはずだ」と信じていました。
「相手に人間だと思わせることができなら、コンピューターは知的と呼ぶにふさわしい」
アラン・チューリング (1912〜1954) 「AIの父」と評される数学者。第二次大戦中、ナチスの暗号「エニグマ」を解読しました。この言葉は、機械が「知的」かどうかを判定する「チューリング・テスト」の概念を示しており、人工知能の可能性をいち早く予見していました。
「地球は青かった」
ユーリイ・ガガーリン (1934〜1968) 人類で初めて宇宙飛行に成功したソ連の宇宙飛行士。宇宙から地球を見た際の第一声として世界的に有名になりました(実際の発言とは異なるという説もあります)。この言葉は、宇宙から見た地球の美しさと、人類の新たな時代の幕開けを象徴しています。
「宇宙はどうして存在するという面倒なことをするのか?」
スティーブン・ホーキング (1942〜2018) 「車椅子の物理学者」として知られる理論物理学者。ブラックホールの研究などでアインシュタイン理論の限界を指摘しました。この言葉は、「なぜ宇宙は“無”ではなく、わざわざ“存在する”という状態を選んだのか?」という、宇宙論の根本的な問いを示しています。
「本日、アップルが電話を再開発します」
スティーブン・ジョブズ (1955〜2011) アップルの創業者。2007年のiPhone発表時に、彼はこう宣言しました。単なる新製品の発表ではなく、既存の「電話」という概念そのものを根本から作り変える(再開発する)という、彼の強い自信とビジョンが表れています。
その他
「一生に一度のスリルしか味わえない、最高のスリル」
アルバート・フィッシュ (1870〜1936) 「ブルックリンの吸血鬼」と呼ばれたアメリカの連続殺人鬼。自身の証言によれば400人が被害にあったとされます。この言葉は、彼が電気椅子で処刑されるまさにその瞬間に発したとされる、恐るべき最期の言葉です。
「大衆が見たいのは銃と女の子である」
デヴィッド・ウォーク・グリフィス (1875〜1948) 「映画の父」と呼ばれるアメリカの映画監督。映画の黎明期に活躍した彼が、大衆(観客)が映画に求める根源的な欲求は「アクション(銃)」と「エロティシズム(女の子)」であると喝破した言葉。現代のヒット映画にも通じる心理です。
世相・風刺(詠み人知らず)
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」(織田信長)
「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」(豊臣秀吉)
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」(徳川家康)
(詠み人知らず) 後世の人々が、天下統一を果たした三英傑の性格を「鳴かないホトトギス」への対処法に託して表現した川柳。短気で苛烈な信長、知恵や工夫で解決しようとする秀吉、忍耐強く好機を待つ家康という、それぞれの個性がユーモラスに描かれています。
「この頃都にはやるもの 夜討 強盗 謀綸旨(にせりんじ)…」
二条河原の落書(詠み人知らず) 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による「建武の新政」の混乱ぶりを批判した風刺。夜討ちや強盗が横行し、偽の天皇の命令書(謀綸旨)が出回るなど、理想とはかけ離れた京都の荒廃した世相を、七五調のリズムに乗せて痛烈に皮肉っています。
「上杉に会うては 織田も 手取川 はねる謙信 逃ぐるとぶ長」
(詠み人知らず) 手取川の戦い(1577年)で、上杉謙信が織田信長(実際は柴田勝家軍)を破った様子を詠んだ歌。「はねる(躍動する)謙信」に対し、「逃ぐるとぶ長(逃げ惑う信長)」と対比させ、上杉軍の圧勝ぶりと、当時最強と目された謙信の武威を伝えています。
「家康に 過ぎたるものが 二つあり 唐の頭(からのかしら)と 本多平八」
(詠み人知らず) 三方ヶ原の戦い(1573年)で武田信玄に大敗した家康を、武田軍の武将がからかった歌。「家康にはもったいないものが二つある。一つはヤクの毛を使った立派な兜(唐の頭)、もう一つは勇猛な家臣・本多忠勝(平八)だ」という皮肉です。
「三成に 過ぎたるものが 二つあり 島の左近と 佐和山の城」
(詠み人知らず) 家康の風刺歌をベースに、関ヶ原の戦い(1600年)前の石田三成を評した歌。「三成にはもったいないものが二つある。一つは「三成に過ぎたるもの」とまで言われた名将・島左近、もう一つは領地(石高)に不相応なほど立派な居城・佐和山城だ」という意味です。
「天下葵よ 加賀様梅よ 梅は葵の たかに咲く」
(詠み人知らず) 江戸時代、加賀百万石・前田家の領民によって歌われたとされる都々逸(どどいつ)調の歌。徳川家(葵の御紋)は草花だが、前田家(梅鉢紋)は木に咲く花であり、梅の方が高い(たか)場所に咲く、と詠んでいます。徳川の家臣とならざるを得なかった前田家の無念と誇りが込められています。
「白河の 清きに 魚の棲みかねて もとの濁りの 田沼こひしき」
(詠み人知らず) 寛政の改革を進めた松平定信(白河藩主)の厳格すぎる政治を批判した狂歌。「水が清すぎると魚が住めないように、厳格で清廉すぎる政治(定信)は息苦しい。賄賂が横行した“濁った”前の田沼意次の時代の方がマシだった」という庶民の皮肉です。
「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん) たった四杯で 夜も眠れず」
(詠み人知らず) 1853年の黒船来航の衝撃を詠んだ狂歌。「上喜撰(じょうきせん)」という高級なお茶(カフェイン)を「四杯」飲んだら、興奮して夜も眠れなくなったことと、「たった四杯(隻)」の蒸気船(じょうきせん=黒船)のせいで、200年以上続いた「泰平の眠り」が覚め、国中が大騒ぎで夜も眠れない、とかけた見事な風刺です。
